天気がいいので、とにもかくにも恩師に会いに行こうよ

投稿日:2016-11-03 更新日:

 

恩師不通⇒

最近、恩師といつ会われましたか。

久しくお目にかかっていない人が大半ではないでしょうか。

もしかすると、年賀状での年に一度のやり取り程度でしょうか。

ずっと地元で生活をされているのならば、会う機会はわりと多いのかもしれませんね。

しかしながら、地元を離れたところに生活の基盤が確立されていると、なかなかそのようなチャンスも作りづらいものです。

本日は、恩師に会いに行くことについてお話します。

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もう二度と会えない

わたしにとって恩師といえるのは、小学校5年生と6年生の二年間、担任であった吉田正明先生ただひとりです。

当時、40代前半であったので、今はもうお亡くなりになられました。

わたしは、小学校を卒業すると同時に引越しをしたので、それっきりとなりました。

それから、大学生のときに、ひょんなことから実家の近く(同じ市内)に住んでおられることを知りました。

けれども、会いに行こう行こうと思いながら、会わずじまいとなりました。

いま、こうして書いているさ中も、どうしてお会いする機会を作らなかったのかと、後悔ばかりが湧き上がります。

恩師をテーマにした2冊

恩師をテーマにした書籍はたくさん出ていると思います。

わたしが、恩師について書かれた本といわれれば、真っ先に思い出すのが次の二冊です。

「先生とわたし」四方田犬彦著

「先生と私」佐藤 優著

 

「先生とわたし」の不幸な結末

大学入学後の知的ぶつかりあいのなかで、その関係性が崩壊に至るという不幸な結末がここには描かれている。

その崩壊の過程に学者としての嫉妬が作用していると著者は推測している。

一般的に言って、恩師との師弟関係において、ある意味、同じ土俵で対等な位置に立つことはまれであろう。

本来、弟子の成長は歓迎すべきところであるのだが、学問の世界というのは特殊な世界であるのかもしれない。

「先生と私」の幸福な時間

四方田氏の場合とは異なり、高校入学までの師弟の出来事がここでは描かれている。

一人の先生ではなく、多くの先生にめぐり合った素敵な出会いが多くのエピソードとともに書かれている。

知的好奇心に溢れる少年が、正しい導きのもとに成長していく姿がなんともうらやましい限りだ。

このような少年を前にすれば、だれもがもっともっとたくさんのことを教えてあげようと、自然に思えてくるのだろう。

容易に想像できますが、この二冊の読後感は全く正反対です。

しかしながら、先生との関わりを通じて、その人を先生としか呼ぶことのできない関係性が強固に成立してしまうところは、全く同じです。

そこに「センセイとワタシ」にしか知りえない世界がたち現れてくるのでしょう。

自主自律の精神

わたしの場合は、これほど強固な結びつきを得たわけではありません。

クラスの中のひとりという平凡な位置づけでありました。

卒業にあたり、記念としてわれわれクラスメートは、ひとりひとり、吉田先生から色紙をいただきました。

達筆です。

そこには、「自主自律」と記されています。

おそらく、先生は、その言葉の意味やそこに込めた想いをわれわれに説明はされなかったと記憶します。

いただいてから、ずっとその色紙を見るたびに、なぜ「自主自立」と書かれていないのか不思議に思っていました。

そのほうが一般的だからです。

大学を卒業し、働くようになって、なんとなく、その意味が理解できたような気がしました。

自らが主体となり、己を律して生きろ。

そういうことなんだと、今も思っています。

自分が自分であるためには、襟を正して生きていかなければならない。

先生が色紙にしたためた言葉の意味について、先生と言葉を交えたかったです。

小学校の頃の思いや考えについて、年を重ねた自分が自分の言葉で先生と語り合いたかった。

先生と小学生のときには成立しない会話が、おじいさんとオッサンになれば、もしかすると成立したかもしれない。

年を取るとは、そういうものだと思います。

でも、わたしの願いはどうあっても今では叶いません。

恩師に会いに行ってください。今すぐ直ちに。

私のような後悔を決してしないために。

 

水たまりの一滴

陽だまりの中で、先生と話をしている自分を夢想します。こんないい天気には。

 

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