義父のこと

投稿日:2016-12-29 更新日:

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11月のはじめに義父が亡くなった。

死因は病気だったが、老衰に近い形であったと思う。

苦しまず、かつ自宅で家族に看取られ、旅立っていった。

以下、義父との思い出のことだけを書きます。あらかじめご了承ください。

出会いから二十年余り

出会いは二十年以上前にさかのぼる。

結婚する前の正月に自宅を訪ねたのが始めての出会いとなる。

以来、わたしたち夫婦の住まいが近いこともあり、よく行き来をした。

昭和という人柄

見た目は、下町のおやじそのもの。

実際、下町に住んでいたが。

下駄履きが多かった。帽子もよくかぶっていた。

パチンコが好きでプロ野球好き。競馬も少々。歴史が大好き。

同世代の多くの日本人男性がそうであったように、典型的な趣味趣向。

酒は飲めない。

タバコはよく喫っていた。

家事はほとんどといっていいほどしない。

辛い物好き。ソースだばだば、胡椒どっさりの、わさび山盛り。

肩の力の抜けた、ある意味わがままな生き方。

同世代の日本人の男性のフツーであったのかもしれないが、幾分うらやましく思うときもあった。

近しい距離感

わたしに対しては、気難しいところはほとんどなかった。

わたしはといえば、昔から気難しいところがあると近しいものからよくいわれていたタイプ。

なので、そのような人間がナチュラルに接することができたのだから、懐が深かったのだろう。

気を使ったりしたことも、ほとんどなかった。

こちらが図々しいだけなのかもしれない。

今更ながらに反省しています。

権威ぶらず、卑屈でもない

わたしは、距離感ぎりぎりのいじりや冗談を義父に対してしばしば行なってきた。

が、一度たりとも逆鱗に触れたことも、顔を真っ赤にされたこともなかった。

この意味からも、高いところからわたしを見ていたのだと思ったりもしている。

 

なによりも、わたしの子供の面倒をよくみてくれた。

ありがたい。

孫だから当たり前といえばいえるかもしれない。

が、そういうことだけでもないだろう。

ある晴れた日の秋の思い出

たくさんの思い出がある。

とりわけ印象に残っているのは、筑波山近くの果樹園にいったことである。

特になにかあったということでもない。

けれども、時々あのころの光景が頭に浮かんでは消える。

とても暖かい時間を過ごしたという記憶が時折顔を出し、また消えていく。

不在、欠落、空白

わたしは幸いにも、いままで近しい人間を失ったことがない。

今回がはじめてとなる。

いい年になったのだから、近い将来、実父母との別れが来るであろう。

覚悟の準備はしている。

年を取るとはそういうことであり、年長から順にこの世を去っていくのはごく自然なことだ。

 

なくなったものは二度と取り戻せないし、なにかで埋めることもできはしない。

だからといって、毎日毎日引きづりまわされることもない。

ゆっくりとゆっくりと、不在に慣れていく。

それが喪という行為なのであろう。

 

いまは、悲しいと寂しいの間の悲しい寄りの位置にいる。

天国でも寝そべって、ずっとテレビを見ているんだろうなぁ。

 

あなたに会えてよかった。本当にありがとうございました。

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