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現役人事部長の 雑記blog

漫才がMANZAIに変わったのは80年前後らしいですが、本当ですか?

投稿日:2017-05-28 更新日:

漫才は生活の一部⇒

私が小中学生の頃は娯楽といえばTVしかなかった。

当時、土曜日は昼間まで授業があり、午後からの開放感は格別であった。

TV番組もその時間帯からはバラエティーといった気の利いたものも少なく、小中学生が見るものといえば、吉本新喜劇や松竹新喜劇、もしくは花月からの漫才中継ぐらい。

それを毎週毎週見ていたので、笑いについては身体感覚で染付ているところがなくもない。

本日は、漫才について少しばかり触れさせていただきます。

あくまで素人の戯言であるので、ムキにならず肩の力を抜いてお読みください。

ミック
ゲームもない
キース
ネットもない
ごんぞう
時間はあった
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吉本新喜劇の思い出

花紀京や岡八郎、木村太郎(博多淡海)や風間寛平で育った世代です。

様式美の典型のような舞台。

ある意味、歌舞伎のお笑い版のようなものか。

非日常的な笑いはただのひとつもなく、日常の延長がお約束のように繰り返される笑い。

それが妙に心地よく、休みの午後の倦怠にそこはかとなくマッチしていました。

いわゆる緩やかな中毒症状を呈していたのかもしれません。

漫才というもの

その当時の漫才は初老に近い中高年がやるものというイメージしかありませんでした。

背広を着て、たんたんとあくまでたんたんと進む流れ作業のような感じ。

新喜劇よりも心惹かれるものは少なかったです。

ネタも古臭く、いまいち小中学生にはピンときません。

そのなかで印象的だったのは、楽器の演奏を交えたトリオやカルテットでした。

ギターや三味線をメンバーがそれぞれ演奏します。

オープニングとエンディングは必ず演奏するのでメリハリがありました。

また舞台の暗転のごとく、途中途中に歌を歌い、リズムを作ります。

宮川左近ショー、かしまし娘、玉川カルテット。

大学生になって、「ミュージックマガジン」を読んでいて、宮川左近ショーは日本のローリング・ストーンズであるという記事を見つけたときは、ニンマリしたものです。

ターニングポイント

現在の漫才は若年層にしっかりと浸透していますが、当時はそうではなかったと記憶します。

日常的に接していたはずですが、その存在は「自分たちの」という意識が形成しづらい位置にあったと思われます。

今のような流れ、つまり若年層への層拡大に決定的な役割を果たしたのは次の二組であったと考えます。

星セント・ルイスと紳助竜介。

  1. 「田園調布に家が建つ」で一世を風靡した浅草芸人。
  2. リーゼントに真っ白なつなぎという脱背広で、ヤンキーネタを叩き込んできた勢いのある吉本の若手コンビ。

ビートたけしが決して認めなかったスタイルの星セント・ルイス。

ダウンタウンをみて引退を決意した鮮やかな引き際の紳助竜介。

彼らの登場は、少なくともわたしにとっては新しい風でした。

好き嫌いを別にして漫才がMANZAIになるキッカケとなった重要なコンビであったと考えます。

彼らによって漫才は若者層の市民権を獲得したのです。

オールラウンダーとしてのやすきよ

今も、どのコンビが一番上手い、もっとも好きというアンケートをとれば、確実に上位に顔を出すレジェンド、やすしきよし。

天才芸人横山やすしが「ボケ」を、苦労人西川きよしが「つっこみ」を担当する役割分担は事実上あってないようなものでした。

言うまでもなく、笑いは「間」が特に重要です。

やすしきよしの場合、流れるようなしゃべりのなかで「間」はメリハリを効かせ、観客に届きます。

驚異です。

やすしであろうが、きよしであろうがお客さんを巻き込み、「間」を置きながら笑いを収穫する流れが、極めてナチュラルに展開していくのです。

ほぼ奇跡に近い。

孤島としてのダウンタウン

ダウンタウンの漫才はデビュー当時に数えるほどしか見ていません。

感心したネタは「あ」という言葉を発声の仕方によって意味の違いを際立たせるネタでした。

どうしてわざわざこのような困難を選択しているのかと疑問に思ったほど、難易度は高いです。

横山やすしから「チンピラの立ち話」と称された彼らのスタイルはあくまで「クール」でした。

大仰な仕掛けはなにひとつ施さず、笑いを確実にゲットしていくその風情は稀有としか言いようのない出来事として映りました。

ゆえに、その継承者は未だに現れていません。

M-1グランプリ世代

やすしきよしが目指した漫才を現代の形に昇華したのが、チュートリアルとブラックマヨネーズでしょうか。

エンディングに向かって加速するそのスタイルはトーナメント方式においては最大の威力を発揮しました。

それと引き換えに「間」は棚上げされ、封殺されてしまいます。

よって、やすしきよしの「縦横無尽さ」は奥に引っこまざるをえません。

しかしながら、それはあの時期のひとつの完成形なのでしょう。

次世代スタイル

限られた時間の中でどれだけ詰め込めるのかの手数巧者が、サンドイッチマンとノンスタイルです。

コントに限りなく近づきながらも、紛れもなく漫才を維持確保できているのは、つっこみの「間」が芸術の域に達しているからなのでしょう。

この2組がわたしは現在一番好きです。

上手いなあという感想と笑いが同居できる数少ないお笑いの送り手だと思います。

ミック
ザ・ぼんちの唐突感と不可解さは嫌いではなかったです

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