三番目の柱⇒
昨年末、同一労働同一賃金の推進にあたって、政府は次の3点を柱とすると発表した。
正規・非正規社員両方の賃金決定ルール・基準の明確化
職務や能力等と賃金など待遇水準との関係性の明確化
能力開発機会の均等・均衡によるひとりひとりの生産性向上
このうち、三番目の能力開発機会について、大学のカリキュラムの見直しや職業訓練に特化したコース新設・増設などが掲げられており、正直いまいちピントきていなかった。
が、年が明けて狙いらしきものが自分のなかで判然としてきたので、以下にお話します。
官僚の考えることは、やっぱり射程が長い。なるほど。
同一労働同一賃金がもたらすもの
同一労働同一賃金が推し進められると、正社員を雇用するメリットが希薄化します。
これは必然です。
要求する水準の労働力を市場から得ることができるのであれば、企業は業種業態にもよりますが、フリーランスとの契約を主体とする組織構成による企業活動にシフトチェンジしていきます。
やって欲しい仕事をやってもらえればお役御免、それで契約解除となります。
そこには、一切のムダは発生しません。労使ともに。
このアウトプットをこの期限までにいくらでお願いします。はい、わかりました。
これが、契約社会の本来の姿のなのでしょう。
法改正や社会的認知・許容、成熟化を含め、超えなければならない問題、時間も相応にかかりますが、行き着く先は早晩このような労働環境・市場です。
そこでは、誰もが「流れ板」にならざるをえないのです。
総流れ板時代へ
流れ板ってなに?
フリーの板前さんのことを指します。
包丁一本サラシに巻いて、店から店へ腕一本で渡り歩くプロフェッショナル。
特定の店に属することなく、己の力量だけで飯を食っていく、ザ・仕事人です。
実際、一部の業種や業界では、フリーランスの方が「流れ板」的な感じで存分に仕事をされていると聞きます。
その前提となるのが、高度なスキルであり、豊かな経験です。
このスキルや経験が高ければ高いほど、高収入を得ることができます。
当然ですね。
けれども、このスキルや経験はいつどこで得たのでしょか?
新卒一括採用の崩壊序曲
もちろん、若いうちに仕事をやりながら覚えたに違いありません。
転職を繰り返すかいなかを問わず、なにもわからない素人(新卒)のときに企業に入社し、業務を通じて身につけたのです。
ということは、流れ板を企業が雇用するのが大前提となる将来においては、素人(新卒)の出る幕は限りなくゼロに近づくという、そういうことです。
そんなバカなでしょうか?
経験やスキルに対してお金を支払い雇用契約を結ぶことが当たり前の世の中になれば、経験もスキルもない者を雇用しようとする企業は極めて限定的になります。
職業経験がない者に対して強烈なアゲインストの風が吹く時代の到来です。
そうです。
ここで、能力開発の必要性が社会的ニーズとして前景化してくるのです。
大学の役割の変容
雇用の流動化がそれなりに強ければ、新卒を育成しようという企業はほとんどなくなるでしょう。
新卒を雇用し、育成するメリットがまったくないからです。
長く自社に勤務するであろうという前提を欠いた育成は合理的ではないために、実施する意味を企業は見いだすことができません(ここにビジネスチャンスを見出し、未就業者を一定程度のレベルにするまでに育成し、供給する企業が出てくるかもしれませんが)。
それでは、社会前提として労働力の新規供給が枯渇に向かうために、それを回避するために国が政策ベースで動かざるを得ません。
それが、大学カリキュラムにおける職業訓練・業務遂行能力の実践的開発及び職業訓練に特化した学区の新設・増設です。
どれほどの効果があるのかは、誰にもわかりません。
ヨーロッパのほうへ
社会が労働者を「流れ板」として希求する方向に進むのであれば、国を挙げての「素人」の計画的育成は必然の流れであるのでしょう。
働き方改革を推し進める上での働き方のモデルがヨーロピアン志向であることは間違いないと思われます。
そして、それが日本の労働市場にうまく接ぎ木できるのかどうかは、誰にも見通せません。
いいとも悪いとも断定できません。
おそらく、同一労働同一賃金の推進の果ての雇用の強烈な流動化が、実は共同体としての働く場所を変容させ、そのことにより労働者ひとりひとりが働き手としての「個」と真正面から向き合わざるをえない、ヨーロッパの個人主義の侵食問題が確実に浮上してきます。
本日はそこには触れませんが、難しい時代に入ってきたことは間違いなさそうです。
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これからの若い人にとって、自らの労働観を真剣に考えなければならない時代に本当に来ています。小中高で一定の時間を割いて学ばせるべきですね。