日曜劇場A LIFE、不足の物語からとにもかくにも目が離せない

投稿日:2017-02-21 更新日:

欠かさず見てしまっている自分がいる⇒

今クールは見たいドラマが目白押しで、この日曜劇場は自分としては「行けたら行くわ」の大学生の飲み会参加のノリ気分のスタンスだったのですが、見始めると毎週楽しみになってしまいました。

世間では、好意的でない評価も多く見られますが、非常に面白く拝見させていただいております。

映画やTVの主役級が勢揃いで、巷の4番バッターばかりそろえりゃいいってもんじゃないよ、はもちろん正論なんですが、このドラマの場合は重厚感が増して、見応え充分の出来となっていると思います。

ストーリーはこれから佳境に入っていきますが、ここまで見て感じたところを以下に書いてみます。

内容に言及しておりますので、あらかじめご了承ください。

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不足の物語

「A LIFE」と名付けられたこのドラマは不足の物語である。

登場人物の誰もが不足を抱えています。

主役の三人からまずは見ていきましょう。

一人目のシアトルから戻ってきた天才外科医沖田(木村拓哉)は同僚と比較し学歴が不足していたことがアメリカ修行の原因のひとつであるようだ。

なによりも、愛する人(深冬)に対する勇気が不足していたために、今もなおそのことに対する後悔はくすぶり続けたままである。

二人目の沖田と幼馴染の副院長の壮大(浅野忠信)は、病院経営に尽力するも義父の院長(柄本明)からは、経営者の品性が不足していると罵倒される始末。

加えて、医者の実父からは努力が不足していると言われ続け、不足も言えず優等生であることが当然の生き方を強いられてきました。

また、院長の娘である妻の深冬(竹内結子)からの愛情を正面から受け取る力を決定的に不足しており、猜疑はあらゆるシーンで深まるばかり。

三人目の何ひとつ不足のない幸福な人生を送ってきた深冬は脳腫瘍に冒され、命の火が不足する身となってしまう。

脇役も不足だらけ

寿司職人である沖田の実父(田中泯)と院長は、ともに経営手腕が不足しているために、店は閑古鳥が鳴き、かたや病院は銀行からの追加融資が難しく、副院長の再建案頼みの状況下にあります。

顧問弁護士の榊原(菜々緒)は父親の愛情が不足しながらも、努力して今の地位を確保し、父親の愛情に恵まれているとは言い難い副院長とは同類相憐れむ関係にあるといえる。

オペナースの柴田(木村文乃)は、親の経営する個人病院が訴えられ、経済力が不足したために医学部進学を諦めた過去を持つコンプレックスの塊。

若手医師のボンボン先生井川(松山ケンイチ)には、さしあたり医学の知識と経験がまだまだ不足しています。

外科部長の羽村(及川光博)には、野心がいささか不足しており、副院長の良き相棒にはなりきれません。

と同時に、羽村と副院長はお互い友情が不足している関係となっていきます。

数え上げれば切りがありませんが、不足の物語にふさわしいオールスターキャストの面々です。

不足とは

不足とは足りていない状態、かけている状態をあらわします。

もう少し正確に言うと、本来あるべきはずのものの一部が失われていることという意味です。

このことを踏まえると、なぜこの不足の物語が病院を舞台にし、医師たちが登場人物でならなかったのかの説明がつきます。

本来あるべきはずのものの一部が失われているわけですから、なくて当たり前のレベルではないということです。

つまり、失われる前の状態は一定のレベルを維持している恵まれた状態にあると、理解できます。

不足の舞台としての病院、そして医師たち

ドラマである限り、失われる前後の落差は大きければ大きいほど劇的効果は高まります。

ゆえに、できるだけ多くのものを本来持っていることが要求されるのは必然でしょう。

そのような職業身分のひとつとして、医者が選択されたという理解が成り立つかと思われます。

これに加え、医師の世界とは、特に外科医の世界とは、ある種、職人の世界です。

命を助けるために倫理観と同等に技量が求められます。

技量の向上にゴールはありません。

言い換えるならば、外科医は常に理想の技量に対して技量不足の状態にあるのです。

また、舞台となる壇上記念病院は、小児科の採算が悪化しており、経営全体の足が引っ張られている状態にあります。

経営が傾きかねない赤字状態、言い換えるならば、今まさに黒字の慢性的な不足に陥っているのです。

以上のことから、健康が不足している場としての病院こそが、不足の物語の舞台にふさわしいといいえるでしょう。

不足の象徴

程度の差はあれ不足の物語にふさわしく不足を抱え込んでいる登場人物たちの中でも、ひときわ特異なキャラクターを放つのは副院長の壇上壮大です。

TVドラマではほとんどお目にかかれない浅野忠信氏を起用したのは、たくさんの理由があったからだと思います。

この複雑な人物造形を演じるには相応のキャリアと技量が求められてしかるべきであるので、白羽の矢は浅野氏に立ったのかなあと推察します。

この副院長の役は、単なる悪役であるならばドラマが平板になる危険性が高まる、ある種危険な役です。

けれども、主役ではないので副院長の人物像理解を深めるために彼にばかり時間をとるわけにもいきません。

非常に困難な役どころであることは、素人目にもわかります。

その困難さは壮大の中の不足に起因しています。

私の考えによれば、壮大は善人としては悪が不足し、悪人としては善が不足している人物です。

これは、中途半端な性格とは似て非なるものです。

善人として善が足らないや悪人としては悪が足らないのであれば、それは俗人です。

不足とは本来あるべきはずのものが欠けている状態を指します。

つまり、善人は善だけでできているわけではないし、悪人は悪だけでできているわけではないのです。

単調な作りであれば決して心が動かされることはないでしょう。

不足の複合体である壮大は不足だらけであるがゆえにどこまでも魅力的なフィギアです。

忍び寄る不足

物語もいよいよ佳境に入ります。

最も不足から遠い人生を歩んできた深冬は脳の腫瘍の悪化により、いつ人生の幕が閉じられてもおかしくない状態に日々さらされています。

希望は絶対的に不足しており、手術の方針が決められない状況下、深冬、沖田、壮大の三人には圧倒的に時間が不足しています。

少なくとも、この三人にとっての本来あるべき姿は、トレード・オフの関係にあるために、彼らの抱える不足は決して埋まることはありません。

ああ、どうなるんだろう。

着地が困難な突き当たりに向かって物語は進んでいかざるを得ません。

不足の物語りが過不足なく終焉を迎えることを願いつつ、ひとまず日曜日を待ちわびます。

 

水たまりの一滴

医師のドラマはなぜこれほどまでに無条件に魅力的なんだろうか。

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