「ヒトラー最期の12日間」があぶり出す思考の絶対的な盲目的な欠如

投稿日:2017-03-26 更新日:

 

「ヒトラー最期の12日間」をようやくみた⇒

大阪出張への途上、この二時間半にわたる作品を視聴した。

もう何年も前から見よう見ようと思いつつ、機会がなかった。

というか、先延ばしにしていた。

以下、内容に言及しておりますので、あらかじめご了承ください。

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禁酒禁煙の菜食主義者最後の日々

この物語は総統地下壕での第三帝国最後の日々をたんたんと描いている。

もちろん、爆撃や怒号もあれば、血も流れているために、「たんたん」という表現は語弊があるかもしれない。

が、わたしには、たんたんというトーンが始終通奏低音のように流れているように思えるのだ。

主役は常に舞台に

「首都を前線とせざるを得ない状況」はあまりに絶望的で、地下壕に集まっている誰もが時間の問題であることを百も承知である。

師団など地図上にしか存在せず、どいつもこいつもここから一目散に逃げ出したいのに、逃げ出さない二枚舌の腰抜けばかりが、お互いを縛り合い罵りあう。

戦時には市民など存在せん

このように言い放つヒトラーの真意など、もはや誰もはかろうとはしない。

国民なき国家が国家として成立する道理はなかろう。

組織の機能不全

機能性を極限までに追い求めていた組織は一旦うまくいかなくなると、なにもかもがストップし、迷走し暴走する。

その典型がこれでもかというほどに描かれている。

「総統に忠誠を誓った」の一点張りで、思考を自ら停止しようとする強者を気取る弱者共はどこにも行けない。

というか、どこにも行きたいくないために、思考を宙吊りにする。

この映画は、ある意味、ハンナ・アーレントのいう「悪の陳腐さ・凡庸さ」を軸に描かれているかのようだ。

思考の絶対的・盲目的な欠如が止めどもなくスクリーンににじみ出てくる。

その象徴的なシーンが地下壕内でのエヴァとの結婚の誓いの場面である。

神父の役割を担った役人だろうか、一人の男がヒトラーに問いかける。

総統、あなたはアーリア人ですか?

ヒトラーは当然のように肯首する。

続けて確認を求める。

人種証明書を。

側にいたゲッペルスが堪りかねて諌める。

失礼だろう。

ここに、思考の絶体的欠如の壮絶なまでのバカバカしさが露呈してしまっている。

本人はいたって大真面目、いささかの疑念の余地も存在はしない。

このような頭を真空地帯に占拠された連中により、組織はあくまで組織的に効率を目指してきたのであろう。

効率の通り過ぎた後には、倫理や道徳が死屍累々としていたことは言うまでもない。

天に唾をする

ヒトラーが発する言葉はその全てが自身に突き刺さる。

聞いているうちに故意に言っているのではないかと思えてくるほどだ。

最良の者たちはすでに死んだ。

今生きている人間(ナチ関係者)は彼を含め、彼の言葉で言えば、クズである。

正気を失ったのか?

正気はもはやどこにも見当たらない。

あるのはただ狂気の死骸だけである。

鬼母

ゲッペルス夫人は、非ナチ状況下において生きる希望を見いだせないことから、小さな娘や息子に睡眠薬を飲ませ、寝静まった頃にひとりひとりの口に青酸カリらしき致死薬を噛み砕かせる。

この機械的行為は圧倒的におぞましい。

子供は全部で5、6人いるのだが、ひとりひとり全く同じ行為を反復する時間をかけたその演出に、間違った目的に向かう組織的効率性の不気味さ、愚かさをまざまざと見てとることができるだろう。

扇情から遠く離れて

この映画の内容がどこまで史実に忠実であるのかは私の能力を超えています。

しかしながら、その冷徹なタッチは出来る限り事実に近づこうとする姿勢を感じます。

退廃を描こうと思えばいくらでも描けたであろう演出を自らに禁じ、あくまで人の思いが離れた「組織」が何らの役に立たず、如何におぞましいモノであるのかが極めて丁寧に描かれていました。

機会があれば、御覧ください。

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