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現役人事部長の 雑記blog

副業あるいは複業、そして自営的就労による労働の未来へ

投稿日:2017-02-17 更新日:

 

自営的就労の未来⇒

またまた「AI時代の働き方と法」について書いていきたい。

労働の未来はいくつもの事柄が錯綜し、重なり合い、一刀両断という解釈は成立し難い。

しかしながら、粘り強く、ひとつひとつ解きほぐすことで、視界が開けていくものであると信じている。

本書は、そのための羅針盤である。

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副業解禁

副業・兼業解禁の流れの先には、正業という概念の融解があることは容易に想像できることでしょう。

もちろん、正業があり、衛星のごとくいくつかの副業を持つというところから始まっていくはずです。

やがて正業と副業のウエイトは同値となり、業を複数もっていますといったスタイルに着地していくのでしょう。

そのように、自営的就労へと働き方は収斂していくこととなります。

技能は自分で使えば自営業者、他人とシェアすれば、形態によって、雇用であったり請負であったりするということだ。

労働法の適用という側面から見ると、適用外の自営業や請負として仕事に従事したり、適用内である雇用されて仕事をするといった、労働のパッチワークが、ひとりの労働者のなかで並存、共栄する時代へとシフトしていこうとしている。

技能シェアリング

「技能シェアリング」という観点からみると、副業規制のある雇用(通常は、正社員)で働く労働者は、シェアリングではなく、その企業との間で、自己の技能の「専属的活用」を約定しているとみることができよう。

労働力の縮減回避が最重要の取り組み課題であるとの認識は現在広く共有されています。

しかしながら、優秀な人材(技能)は有限であるために、一企業がそれを独占することは、企業競争力の点からは正義であっても、社会全体の活性化、経済の底上げという側面からは、再考の余地が残るはずです。

そのために、副業・兼業を解禁し、複数の企業が限られた優秀な人材(技能)を共有化することを目指そうとしております(もちろん、企業秘密の漏洩リスクや競業避止義務の観点からクリアすべき現実的課題は山ほどあります)。

副業が常態化する労働環境下であるのならば、一企業が「専属的活用」を実現するためには、そこには「プレミア」が発生しなければならないでしょう。

現状当たり前である一つの企業に雇用されている状態が、雇用者の資質・能力如何によっては、「プレミア」を支払ってでも維持したいという時代がやってくるということです。

しかも自営的副業は、個人が蓄積した技能を用いて、個人の余った時間で事業を営むという点では、経済の活性化につながり、キャリアの複線化やパラレルキャリア(副業から複業へ)にもつながる。

このことを加速するためには、現行の社会保障の見直しが必要ではないかと著者は鋭く指摘します。

雇用労働者に対する手厚い社会保障は、労働法上の保護とあわせて、国民を、過剰に従属労働に誘導していたのではないか、という問題意識も必要だ。

労災保険や年金受給に代表される雇用労働に対する厚遇は、確かに自営的就労を選択することのブレーキとなっていると言えなくはありません。

プロ集団化

労働による価値が、指揮命令下での就労ではなく、個人の知的活動を中心に生み出されていくとなると、人的従属性が少ない自営的(非従属的・独立的)な就労が主流になるのは必然だ。

少しづつ、自分の雇用主は自分である働き方に世の中は向かいつつあります。

働く主体である我々が労働の主体性をがっちりと自らの手の内に掴もうとする時代がやってきます。

しかしながら、そこには今までにない責任が発生するでしょう。

それは、自己責任といってもいいし、自業自得と言ってもよい。

「働かざるもの食うべからず」が、徹頭徹尾自分自身にだけに向けられることになるのです。

これは正直、きつい事態である。

一方で企業による雇用の庇護下でいいよ、という考え方も決してなくならないでしょう。

企業は自立的な個人の集合という性格を濃厚にもち、たとえばクラウドソーシングなども活用しながら、特定のプロジェクトを遂行していくというスタイルがとられるようになると、やはり中心となる働き方は自営的就労だ。

一国一城の主の集まりというイメージだろうか。

もしくは、歴戦の兵たちの集団、外人傭兵部隊というイメージだろうか。

個人で自営的に就労する者(あるいは、複数の自営業者とパートナー関係となり、事業を共同で営む者)は、零細事業主であるとしても、人的従属性がないので、法的には労働者ではない。

労働者ではないということは、時間的拘束性から限りなく自由の身であるということだ。

つまり、「何時間しか働かなくてもよい」と「何時間でも働いてよい」が同義となる。

労働法を超えて

したがって、自営的就労者には、基本的には、労働法上の保護はいっさい及ばない。

自由の確保との引き換えにしては、これではあまりに丸裸に過ぎる。

従って、国の出番である。

自営的就労においては、個々人が自立した取引によって職業を遂行していくことを、政府が直接サポートするというところに主眼があるからだ。

このことを担保するために労働法はバージョンアップされねばならない。

そのためのポイントのひとつが以下の指摘箇所である。

自営的就労の働き方には、従属性が内在しているわけではないので、契約の自由の原則に立ち戻る必要があるのだ。つまり、労働基準法などのように労働条件の内容にダイレクトに介入する規制は適切ではない。

働き方が変るのであれば、それに伴い当然に法律は整備されなければなりません。

もちろん、法律だけが整えばいいというものではなく、われわれの適切な理解の醸成がなによりも必要となってきます。

理解の温度差は、当面の間縮まることはないでしょう。

しかしながら、自分の腕一本で食べてきた人にとっては何らの新鮮味も感じられない光景でしょうか。

働くということを根底的に自問自答せねばならない時代なんですね。

 

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水たまりの一滴
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