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現役人事部長の 雑記blog

労働を評価するには「時間」と「成果」以外に何かないのかな?

投稿日:2016-12-23 更新日:

労働時間信仰はいずれ打破されるのか⇒

現在、総労働時間削減や残業時間削減が声高に叫ばれている。

そこでの主役は常に「時間」だ。

わかりやすいので、それでもいいですが。

問題視すべきなのは「時間」だけなのか?

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労働を計量する目安としての労働時間

労働(あるいは労働力と言ってもいいが、暫定的に労働で統一しておきます)を評価する物差しは現在のところ次の2つしかない。

労働の成果

労働時間

労働の成果

労働の成果は、やり遂げた結果であるため、その種類は多岐に亘る。

  • できあがった資料
  • 新規の件数
  • 入力されたデータ
  • 月間の売り上げ
  • などなど

そして、この成果(結果)に対して、実際どれほどの労力が費やされたのかについては、誰もあまり気にはしない。

これが現実だ。

結果がすべて。

時折、プロセスが評価されることもある。

でも、おしなべて結果がすべて。

労働時間

労働時間はわかりやすい。

なぜなら、時間なのだから。

そう、いつでもどこでも正確にはかることができるのだから。

一時間はどんな場合も一時間だ。

全国共通。

ゆえに、労働を議論する際に、科学的記述が要請される場合は、必ず労働時間が取り上げられる。

簡潔にして公平。

労働について考えるとき

労働を考える場合、時間と成果は分かりやすく納得性も高い。

ゆえに、成果で評価し、時間を削減しましょうという。

けれども、労働は時間のみではかられるものではないはずだ。

同じく、その成果だけではかられるものではないはずだ。

もっと有効なもの差しが必要であろう。

単位時間あたりの生産性

そのひとつが、単位時間あたりの生産性である。

同じパフォーマンスであってもそれを一時間で終わる人と2時間で終わる人がいるのならば、その生産性は倍違ってくる。

知的労働といわれる分野において、これを厳密に計測することはなかなかに難しい。

が、いずれその方向に間違いなく進んでいくのであろう。

これもまた、働き方改革の必然的な行く末なのである。

無駄な時間は削減されてしかるべきだ。

多くの時間を費やされて達成されたそこそこの成果は、そこそこの評価にしかならない。

当然ですね。

労働の質と量を問われる真の時代がやってくる。

すぐそこまでやってきている。

水たまりの一滴

最近、労働について考えることが以前にも増して多くなりました。

まとめ記事もどうぞ↓↓↓

総労働時間削減に関して

 

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