営業マンの誕生
営業は、多くの出会いにより、一人前になります。
どれだけ、素晴らしい人に出会えたのか、ある意味、運のようなところがあります。
個人的な古い話で、かつ長い話になりますが、できればお付き合い下さい。
急遽、出張命令
かれこれ二十年以上前になります。
当時私は、若手と呼ばれるキャリアの営業職でした。
急遽、上司の出張の都合が悪くなり、契約書締結のために高松に向かうこととなりました。
翌日、詳しい説明もないままに、空港に向かいました。
とりあえずUターン
羽田から高松に向かうフライトは、トワイライトゾーンを飛び、非常に心躍るものでありましたが、それも機長のアナウンスにより一変します。
高松は天候不順のために、一応着陸を試みます、とのこと。
一応?
今にして思えば、不適切な表現です。
一度目は失敗でした。
二度目にトライするとのアナウンスのときは、機内が少しばかりざわついたのを思い出します。
大方の予想通り、二度目もうまくいかず、伊丹空港に緊急着陸する対応となました。
疲れた体を引きずり、とりあえず新幹線で岡山を目指しました。
へっぽこ営業マンは翌朝、高松行きの列車に乗り込んだのです。
強持て氏の登場
待ち合わせ場所で待っていると、営業車が横付けされ、いかにも仕事できますオーラ漂う強持ての中年のご登場でした。
名刺交換の後、助手席に乗り、一路取引先へと車は進みます。
言い忘れましたが、当社と契約を締結する取引先へ、一緒に向かう強持て氏はいわゆる仲介ブローカーです。
特に問題もなく、契約締結は整い、さて、東京に戻りますかと考えていたところ、折角だから乗っていかないかと誘われました。
ロングドライブの始まり
若気の至り、お言葉に甘え、高松空港にむかう道中で、出身地の話となり、実家は大阪ですとのやりとりのあと、強持て氏のお住まいが、わたしの実家から、目と鼻の先であることが偶然にも判明します。
奇縁です。
折角ついでに、たまには親御さんに顔を出さないといけないよ、といっしょに大阪を目指す雰囲気に抗えずに、そのままロングドライブが始まりました。
なんという図々しさかと、いまにして顔から火が出ます。
三拍子が揃う
気まずい雰囲気もなく、なごやかな車中で強持て氏はおもむろに話し出しました。
優秀と呼ばれる営業マンにいままでたくさん会ってきた。
運転中にもかかわらず、左手で自分のこめかみの辺りをトントンと軽くたたきます。
ここ(頭)の切れる奴は仕事ができるが、それだけじゃ駄目。
次に、左手の二の腕の辺りを、右手でたたきました。
できれば運転に集中してくださいと、祈るばかりです。ここは高速道路ですよ。
ここ(腕っぷし)がある奴は押しも強く、実行力がある。それだけでも駄目。
頭と腕があれば、たいてい認められるものだ。
まあ、それだけでもいい営業マンだけど。
でもね、それだけじゃ、だめなんだ。全然駄目なんだ。なにが足らないと思う。
ひよこが想像できるはずもありません。
見当もつきません、と小さな声でこたえました。
ここだよ、ここ。
彼は、分厚い胸を叩きます。
ハート。 もっというと、頭があろうが、腕があろうが、ここのない奴はやっぱり全然駄目。
おたくの○○さん(わたしの上司)には、これがある。
よく、勉強しなさい。
黙ってうなずく私がいました。
旅の顛末
長距離ドライブの後、家の近くに到着すると、ちょっと待ってとトランクを開けて、菓子折りを差し出し、一言。
いつも持ちあるいているんだ。気にするな。たまに顔を見せるのに、手ぶらじゃ、だめだよ、持って行きなさい。
車が発進したあと、深々と体を折るのが精一杯でした。
幸運な幸福な思い出
私は、幸運な、幸福な人間です。
なぜなら、営業マンとしてのスタートにあたり、このような経験をさせていただいたからです。
そして、三拍子揃った上司に鍛えられたからです。
ぱっとしない部下でしたが。
ところで、このエピソードには後日談があります。
実家にいきなり現れたわたしを見て両親はびっくり。 突然帰ってきたから? 違います。 なぜなら、翌日東京で落ち合うことになっていたからです。 そう、私の結納のために東京にでてくる段取りになっていたのです。
そういうこともあり、今も鮮明にいろんなシーンを覚えています。
残念ながら、「あたま」と「うで」には恵まれませんでした。
けれども「ハート」の火は今も消えていないと勝手に思っています。
営業マンの醍醐味は社外に心の師を持つことです。
営業という仕事も捨てたもんじゃないですよ。