自営的就労の未来について一緒に考えてみませんか?
またまた「AI時代の働き方と法」について書いていきたい。
労働の未来はいくつもの事柄が錯綜し、重なり合い、一刀両断という解釈は成立し難いです。
粘り強く、ひとつひとつ解きほぐすことで、視界が開けていくものであると信じている。
本書は、そのための羅針盤となります。
副業解禁の流れは止められない
副業・兼業解禁の流れの先には、正業という概念の融解があることは容易に想像できることでしょう。
正業があり、衛星のごとくいくつかの副業を持つというところから始まっていくはずです。
やがて正業と副業のウエイトは同値となり、業を複数もっていますといったスタイルに着地していくのでしょう。
このような流れの中で、自営的就労へと働き方は収斂していくこととなります。
技能は自分で使えば自営業者、他人とシェアすれば、形態によって、雇用であったり請負になったりします。労働法の適用という側面から見ると、適用外の自営業や請負として仕事に従事したり、適用内である雇用されて仕事をするといった、労働のパッチワークが、ひとりの労働者のなかで並存、共栄する時代へとシフトしていくでしょう。
技能シェアリングというインフラ整備
「技能シェアリング」という観点からみると、
副業規制のある雇用(通常は、正社員)で働く労働者は、シェアリングではなく、その企業との間で、自己の技能の「専属的活用」を約定しているとみることができます。
労働力の縮減回避が最重要の取り組み課題であるとの認識は現在広く共有されております。
優秀な人材(技能)は有限であるために、
一企業がそれを独占することは、企業競争力の点からは正義であっても、社会全体の活性化、経済の底上げという側面からは、再考の余地が残ります。
そのために、副業・兼業を解禁し、複数の企業が限られた優秀な人材(技能)を共有化することを国は目指そうとしております。
もちろん、企業秘密の漏洩リスクや競業避止義務の観点からクリアすべき現実的課題は山ほどあります。
副業が常態化する労働環境下であるのならば、一企業が「専属的活用」を実現するためには、そこには「プレミア」が発生しなければならないでしょう。
現状当たり前である一つの企業に雇用されている状態が、雇用者の資質・能力如何によっては、「プレミア」を支払ってでも維持したいという時代がやってくるのです。
しかも自営的副業は、個人が蓄積した技能を用いて、個人の余った時間で事業を営むという点では、経済の活性化を実現し、キャリアの複線化やパラレルキャリア(副業から複業へ)にもつながります。
このことを加速するためには、現行の社会保障の見直しが必要ではないかと著者は鋭く指摘します。
雇用労働者に対する手厚い社会保障は、労働法上の保護とあわせて、国民を、過剰に従属労働に誘導していたのではないか、という問題意識も必要だ。労災保険や年金受給に代表される雇用労働に対する厚遇は、確かに自営的就労を選択することのブレーキとなっていると言えなくはありません。
プロ集団化が加速する
労働による価値が、指揮命令下での就労ではなく、個人の知的活動を中心に生み出されていくとなると、人的従属性が少ない自営的(非従属的・独立的)な就労が主流になるのは必然となります。
少しづつ、自分の雇用主は自分である働き方に世の中は向かいつつあります。
働く主体である我々が労働の主体性をがっちりと自らの手の内に掴もうとする時代がやってくるのです。
そこには今までにない責任が発生するはずです。
それは、自己責任といってもいいし、自業自得と言ってもよい。
「働かざるもの食うべからず」が、徹頭徹尾自分自身にだけに向けられることになります。
これは正直、きつい事態である。
一方で、企業による雇用における庇護下でいいよ、という考え方も決してなくならないでしょう。
企業は自立的な個人の集合という性格を濃厚にもち、たとえばクラウドソーシングなども活用しながら、特定のプロジェクトを遂行していくというスタイルがとられるようになると、やはり中心となる働き方は自営的就労となるでしょう。
一国一城の主の集まりというイメージだろうか。
もしくは、歴戦の兵たちの集団、外人傭兵部隊というイメージだろうか。
個人で自営的に就労する者(あるいは、複数の自営業者とパートナー関係となり、事業を共同で営む者)は、零細事業主であるとしても、人的従属性がないので、法的には労働者ではありません。
労働者ではないということは、時間的拘束性から限りなく自由の身であるということになります。
つまり、「何時間しか働かなくてもよい」と「何時間でも働いてよい」が同義となる。
労働法を超えて
自営的就労者には、基本的には、労働法上の保護はいっさい及びません。
自由の確保との引き換えにしては、これではあまりに丸裸に過ぎます。
従って、国の出番となる。
自営的就労においては、個々人が自立した取引によって職業を遂行していくことを、政府が直接サポートするというところに主眼があるためです。
このことを担保するために労働法はバージョンアップされねばなりません。
そのためのポイントのひとつが以下の指摘箇所となります。
自営的就労の働き方には、従属性が内在しているわけではないので、契約の自由の原則に立ち戻る必要があるのだ。つまり、労働基準法などのように労働条件の内容にダイレクトに介入する規制は適切ではない。働き方が変るのであれば、それに伴い当然に法律は整備されなければなりません。
もちろん、法律だけが整えばいいというものではなく、われわれの適切な理解の醸成がなによりも必要となってきます。
理解の温度差は、当面の間縮まることはないでしょう。
働くということを根底的に自問自答せねばならない時代の到来です。