労働時間信仰はいずれ打破されるのでしょうか
現在、総労働時間削減や残業時間削減が声高に叫ばれています。
そこでの主役は常に「時間」です。
問題視すべきなのは「時間」だけなのでしょうか?
労働を計量する目安としての労働時間
労働(あるいは労働力と言ってもいいが、暫定的に労働で統一しておきます)を評価する物差しは現在のところ次の2つしかありません。
- 労働の成果
- 労働時間
労働の成果とは
労働の成果は、やり遂げた結果であるため、その種類は多岐に亘ります。
- できあがった資料
- 新規の件数
- 入力されたデータ
- 月間の売り上げ
- などなど
この成果(結果)に対して、実際どれほどの労力が費やされたのかについては、誰もあまり気にはしません。
労働時間
労働時間はわかりやすい物差しです。
なぜなら定量的であるから。
つまり、いつでもどこでも正確にはかることができるからです。
一時間はどんな場合も一時間です。
全国共通。
労働を議論する際に、科学的記述が要請される場合は、必ず労働時間が取り上げられます。
簡潔にして公平だから。
労働について考えるときに
労働を考える場合、時間と成果は分かりやすく納得性も高いです。
だから、手っ取り早く成果で評価し、時間を削減しましょうと、なるのです。
- 労働は時間のみではかられるものではないはずです。
- 同じく、その成果だけではかられるものでもありません。
あなたにはもっと有効なもの差しが必要なのです。
単位時間あたりの生産性
そのひとつが、単位時間あたりの生産性です
同じパフォーマンスであってもそれを一時間で終わる人と2時間で終わる人がいるのならば、その生産性は倍違ってきます。
知的労働といわれる分野において、これを厳密に計測することはなかなかに難しいことです。
いずれその方向に間違いなく進んでいくのでしょう。
これもまた、働き方改革の必然的な行く末なのです。
無駄な時間は削減されてしかるべき。
多くの時間を費やされて達成されたそこそこの成果は、そこそこの評価にしかなりません。
労働の質と量を問われる真の時代がやってきます。
あなたは準備できていますか?