全ては繋がっている。もちろんあなたの想像を超えて
縁起という言葉は日常的によく耳にする言葉です。
縁起が良いとか悪いとかというフレーズをあなたも一度は口したことがあるはずでしょう。
仏教用語である「縁起」という語には次のような意味があります。
大谷大学教授の小川一乗氏の解説を引用します。
「縁起」とは「すべての存在は無数無量といってよい程の因縁によって在り得ている」という、仏教の基本思想を表す重要な用語であるが、私たちの日常において用いられている仏教語の中で、これほど誤解されて用いられている言葉も珍しい。
もう少し詳しくいうと、
仏教における縁起とは、私たちは因縁によって存在するのであって、それらの因縁を取り除いたら「私」と言われる確かな存在は塵垢ほどもないという意味である。それを「無我」というのであるが、それをそのように正確に了解せず、この私がたくさんの因縁を頂いて生かされているという通俗的な意味で了解されてしまったからではなかろうか。
つまり、存在としての私は、無数の因果の偶然の結節点のひとつでしかないということになります。
仕事における四つの縁起のパターン
仕事上における、縁起、すなわち無数の因果関係状態を以下に極めて単純化してみます。
四つのパターンに分類されます。
- うまくいった→うまくいった
- うまくいった→うまくいかなかった
- うまくいかなかった→うまくいった
- うまくいかなかった→うまくいかなかった
ある仕事の結果が次の仕事の出来不出来に直接的に関係する場合もあれば、ない場合もあります。
その因果の構造を人が理解できる場合もあれば、全く想像がつかない場合もあるでしょう。
それらは全て縁起なのです。
これを心理面からみた場合、次のように言い換えられるかもしれません。
- (楽観)この前もうまくいったので、今度もうまくいくだろう
- (慎重)この前はうまくいったけれども、今度はうまくいかないかもしれない
- (願望)この前はうまくいかなかったから、今度はうまくいくだろう
- (悲観)この前もうまくいかなったので、今度もうまくいかないだろう
繰り返しますが、
因果が連続しようが、不連続であろうが、それら全てが「縁起」として一括りに理解されなければならないのです。
「私=ビジネスパーソン」とは4パターンの無限の連なり
意識的であれ、無意識のレベルであれ、これから行う仕事について、あなたは前の仕事の出来不出来に少なからず影響を受けています。
ある時は、楽観がチョイスされ、別のある時は悲観を選択しているのかもしれないのです。
楽観と悲観と願望と慎重が、その都その度都度入れ替わりながら、繋がっているのでしょう。
忘れてならないのは、あなたはその瞬間に自分自身が選び取っているわけではないという「事実」です。
無数の因果関係の作用により、その度ごとにあなたの感情(心理)はただ占拠されているだけなのです。
なぜなら、あなたは連続する仕事の因縁によって存在するひとりの「ビジネスパーソン」であるからです。
ゆえに、
ご縁をいただいていると言い切るような「私」を中心とした理解をあなたがしてしまうのならば、仕事の成果は途端にヘソを曲げることでしょう。
思い出してみてください。
多くの場合、成功の果実を手にしたのは、あなたが「無我夢中」で取り組んだ時であったことを。