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オグリキャップ、職業競走馬。プロフェッショナル仕事の流儀がエクセレント

投稿日:2017-02-14 更新日:

プロフェッショナル仕事の流儀を見た⇒

いやーよかったです。

仕事人としての観点からオグリキャップにスポットが当てられていた。

やはり最後の有馬記念はなんど見ても感動しかない。

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笠松時代

レースに出る前の躾の時期のオグリキャップについては、関係者の誰もが一様に元気がない、やる気がないと口をそろえる。

評価額500万円。

皆が皆、過度に期待など抱いていなかった。

元ジョッキーの青木氏のコメントが秀逸。

そこらへんのおっちゃんみたいな感じ

だらーっとした感じであると、そこらへんのオッサンそのものの青木氏(ゴメンナサイ)が口にする、なんともユーモアに溢れたインタビュー。

馬主の小栗孝一氏は、血統が悪いからこそ期待をかけるのだと言う。

自らの生い立ちからだろうか、競走馬に尋常ならざる愛情を注ぎ込む。

本当にいい馬主さんにオグリキャップは巡り合ったんだなと思う。

そんな中、多くの関係者の、この馬は走らないだろうという予想が徐々に裏切られていく。

正確に言うならば、この馬の潜在能力に、人々は少しづつ気づいていくことになる。

笠松時代の調教師は言う。

沈んでくる

一流馬は、その特徴として、走るときに重心を下げて走る。

そのことを「沈んでくる」と表現するらしい。

その言葉の通り、オグリキャップは、レースを走るごとに、ものが違うと周りの誰もに認められていく。

強心臓

獣医は、オグリキャップの強さを心拍数から説明します。

一般的には、競走馬の心拍数は30から40の間であるが、オグリキャップの場合は、24から27であったという。

いわゆるスポーツ心臓なのだ。

8ヶ月間で12レース。

驚異的なペースであり、過酷すぎるローテーション。

トレーニング、競馬、トレーニング、競馬。

休む暇などない。

この過酷さに耐えられたのは、生来の心臓の強さと同時に、比喩的な意味での強心臓であったからだと言われています。

レースに行っても動じない。

そして、オンとオフの切り替えが実に素晴らしい。

つまり、レース中もレースの前後も余計なことは一切しないのだ、

どこまでもクレバーな馬である。

中央競馬の頂点へ

中央競馬会入り後、連勝を続け、秋の天皇賞に向かう。

だれもが勝つであろうと思ったその行く手を名馬タマモクロスが阻む。

奇しくも同じ芦毛。

タマモクロスを倒さないことには真のナンバーワンには認めてもらえない。

しかしながら、その王者タマモクロスは今度の有馬記念で引退する。

チャンスは一回限り。

調教師の瀬戸口氏とジョッキー岡部幸雄氏は奇策に出る。

中山コースを走ったことのないオグリキャップをコース慣れさせるために、JRAに特例対応を許可してもらう。

レース前にコースの試走が許されたのだ。

人間のやれることはすべてやりたかったと、岡部氏は言う。

1988年の有馬記念。

オグリキャップはゲート入りする際に癖を持っている。

首を真っ直ぐにし、ぶるぶると武者震いのように首から上を震わすのだ。

岡部氏はそれをオグリキャップのルーティンという。

どこまでも、平常心。

そして、タマモクロスを破り、頂点にたった。

いつも通り淡々と、大仕事をやってのける。

勝負師岡部幸雄は「気合十分で平常心を保つ」稀代の名馬にプロフェッショナリズムをみた。

燃え尽きたのか

競馬はブラッド・スポーツです。

血統が全てであると言っても過言ではない。

その圧倒的な格差の壁に立ち向かう二流の血、オグリキャップの走りに人々は魅了され昂奮した。

過酷な連戦続きのためか、足を悪くしてしまい、治療に専念することとなる。

が、激戦の疲れを癒やすための一ヶ月に亘る温泉治療が仇となってしまう。

鍛え上げたスポーツ心臓が温泉に浸かることにより消えてしまったのだ。

先の獣医はよくあることだと、証言する。

復帰後、秋の天皇賞6着、ジャパンカップ11着の大敗。

誰もがもう終わったとつぶやき、ご苦労様と温かい言葉をかける。

しかしながら、中央競馬会の馬主資格を持たないために、オグリキャップの更なる可能性にかけて中央競馬の馬主に泣く泣く愛馬を譲り渡した、小栗孝一は信じていた。

これでは、終わらない。

この言葉は、オグリキャップに向けられたと同時に小栗氏自身にも放たれていたはずだ。

不死鳥

調教師の瀬戸口氏のもとに、次から次にオグリキャップへの激励の手紙が送られてくる。

瀬戸口氏は勝負に出る。

疲労が蓄積するとわかっていながらも、あえて実践に近い芝コースで最後の調整を行った。

しかしながら、調教の感触は良くはなかった。

不安が拭いきれないまま、迎えて1990年12月23日、有馬記念当日。

中山競馬場には、史上最高の17万7千人の人の渦。

レース後、自分が歴史の証言者になろうとは、ただの一人も思わなかったはずだ。

天才武豊でさえ、勝てるとは思っていなかっと、走る前には思っていたほどだ。

しかしながら、スタート直後、いい走りであることに直ぐに気づく。

そして、第四コーナーを回りながら、その反応の良さに「ひょっとしたら」が頭をかすめたらしい。

どの馬よりも早くゴールを駆け抜け、オグリキャップは伝説を超えて神話となった。

勝負が決した一時間後、恋馬に元馬主はたった一言だけを口にした。

ありがとう

ああ、見終わってため息しか出ない。

こちらこそありがとう、小栗さん、そして怪物。

 

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水たまりの一滴
いいプログラムだった。また明日も見よ。

 

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